東京パラリンピックへの挑戦

皆さんはこの5年間どのような時間を過ごされてきましたか?

私はこの5年という歳月を競技人生で2度目となるパラリンピックへの挑戦に全てを注いできました。
そしてその挑戦に一区切りがつきました。
先日、日本パラ陸上競技連盟のホームページにて発表があった通り、結果として東京パラリンピックの代表にはなれませんでした。

2016年6月4日にリオパラリンピック代表を決める国内最終選考試合で400mを57秒40で走り、自己記録を2秒近く更新したものの参加標準記録に0.4秒届かず落選しました。
その落選から5年という歳月の間に自分を取り巻く環境は大きく変わりました。
大学を卒業して就職するタイミングで23年間過ごした地元を離れ上京してきました。
これまで学校という環境で同じ陸上競技部員と共に練習をしてきた環境から1人で黙々と練習をする時間が長くなりました。
陸上競技が仕事になったことで自身の競技結果に対してシビアに見るようになり、責任というものを強く意識して競技に取り組むようになりました。
この数年でライバルが増え、ライバルが増えた事によって競争率が上がり、競技全体のレベルが一気に上がりました。
ただ私はこの2年間自己記録が止まってしまい、その間にライバル達は記録を次々と更新し、段々と危機感を覚えていきました。
そんな状況でもトレーニングを積んでいく中で自分に対して自信や期待を持ち、東京パラリンピックの代表選考試合に挑みましたが、結果はライバル達に歯が立たないくらい惨敗してしまいました。
しかし5年前と明らかに違ったのは1人ではなくチームで戦っているのを感じれたことです。
スポーツを取り組んでいるうちにアスリートは周りに対して弱い部分を見せてはいけないという固定観念にずっと囚われていましたが、今は弱い部分を知っていること、そしてその弱みをチームに話す事で逆に強みになっていると感じています。
競技人生2度目のパラリンピックに向けての挑戦にあたり何度もノックダウンしそうになっても最後までファイティングポーズをとって戦い続けることができたのは日頃から応援・サポートをして下さっているコーチ、会社、スポンサー企業の皆様、友人、家族のお陰だと改めて実感をしました。
本当にありがとうございました。

改めて一度立ち止まって自分は何の為に陸上競技をやっているのかと考えましたが、答えは自分の可能性を世界に証明したい、その証明をする為にはパラリンピックに出場をし、100mの決勝の舞台に立つ事だと自分のビジョンを再認識しました。
そしてこのビジョンを成し遂げる為にも来年の夏に神戸で開催される世界選手権に向けて再出発します!!

最近の記事

  • 関連記事
PAGE TOP